「第3回ぎふ美術展」彫刻部門の審査員を務めていただいた武田厚先生を講師にお迎えし、チェコガラス界の巨匠作家が1970年大阪万博のパビリオンで公開した巨大なガラスオブジェを巡る当時の国家体制との人生を懸けた激烈な闘いの歴史などについての講演会を美濃焼ミュージアムで開催しました。
【開催概要】
◆日時 令和3年11月14日(日) 14:00~15:30
◆会場 美濃焼ミュージアム(多治見市東町1-9-27)
◆講師 武田 厚氏(美術評論家・多摩美術大学客員教授)
◆参加者数 23名
◆内容 「第3回ぎふ美術展」彫刻部門の審査員を務めていただいた武田厚先生を講師にお迎えし、「チェコの現代ガラスー闘う芸術家たち」と題して講演会を開催しました。当日は、「清流の国ぎふ」マスコットキャラクターのミナモも応援に駆けつけてくれました。
冒頭、アールヌーヴォーのガラス工芸などのコレクションで知られた飛騨高山美術館(2020年5月31日閉館)の開設に携わったとのお話があり、続いて岐阜出身の作家の紹介がありました。山種美術館の学芸員として勤務していた頃、1年で千点の日本画を観ていたこともあり、特に前田青邨に感銘を受けたとのことです。その前田青邨を師として仰いでいた守屋多々志、愛知県出身だが岐阜市に移住した河合玉堂、洋画では熊谷守一、書の篠田桃紅、そして笠原町出身で近代ガラスのパイオニアと言われる各務鑛三など岐阜からは多くの優れた芸術家を輩出したとの話がありました。
幸せな生涯を送った芸術家は数少ない。すべてを芸術に懸けて家族も全部を懸けて生涯を送り、最後にどんな結末を迎えるかの見通しのないままにその道に入っていくため、そのほとんどが闘いに明け暮れることとなる。誰と闘うのか、何のために闘うのか、一例をガラスの世界での芸術家たちの生き方について何かそこから普遍的なものが見えればいいとの思いでチェコの二人のガラス作家の話が紹介されました。
一人はスタニスラフ・リベンスキー(1921-2002)というガラスを素材とした現代彫刻・立体造形作家であり、彼は日本の能装束・着物に魅了され、そのフォルムを使ってガラスにおける彫刻の新しい世界を創り上げた。もう一人はレネー・ロウビーチェク(1922-2018)で、ガラスを使ったインスタレーション作家であり、彼はガラスで何を作るかではなく“何を表現するか”という意識で制作し、3mほどのシャンデリア、ビル壁面のガラス装飾、ガラスのクラリネットなども制作した。この二人が1970年の大阪万博のチェコパビリオンで巨大なガラスオブジェを公開し、世界の人々を驚愕させた。リベンスキーは「The River of Life」、ロウビーチェクは「Cloud Water Fountain of Life」というタイトルの巨大オブジェ。
しかし、それを制作する前に、国は社会主義体制を批判的に捉えたテーマだとクレームをつける。二人はそうした国の圧力に屈せず制作し、大阪万博会場に運んで設置した。万博が閉幕後、「万博に出した作品は自分たちの本音ではない」という主旨の文書に署名しろと国からの指示があり、二人は完全に拒否したが、リベンスキーはプラハの工芸大学で重要な地位を占める教授であり、後進のために教授を続けるべきだとの説得に応じ、泣く泣くサインした。一方、ロウビーチェクは完全に拒否したため、国からの材料や仕事場等の提供や国内での作品発表を13年間禁止されるなどの制裁を受けた。こうした13年間の制裁は、初老に差し掛かっていたロウビーチェクにとって取り返しのつかない年月ではあったが、貧しいながらも果敢に制作に取り組んだ。二人が闘った相手は社会主義体制の国家に対して自由芸術の立場を貫くことであった。最後に二人の岐路を決めたのは、自分の人生を決めた選択であり、これは誰の責任でもなく自分の責任。つまり、最終的には自分との闘いであったとのことでした。
講演会終了後には、美濃焼ミュージアムの担当者の案内により展示室を見学し、「明治・美濃 超絶三人展」では、西浦焼の名称で美濃焼の高級化、販路拡大に尽力した西浦圓治などの超絶技巧を駆使した作品に見入っていました。
◆参加者の声 「自分の美に対する哲学の学び方、考え方が変わった」「普段ガラス彫刻など学ぶ機会がないので、作品等を詳しく説明していただきとても楽しかった」「先生が実際に体験・対談されたお話がおもしろかった」などガラス彫刻や芸術を身近に感じていただけた講座となりました。